中岡慎太郎生家<復元>


❝松林寺寺門❞

「松林寺」は、鎌倉幕府を開く2年前、1190年頃に禅宗瑞応寺の末寺で本尊は観世音菩薩、悟庵了公居士が建てました。

1871年2月28日に神仏取分(廃仏毀釈)により廃寺となり、幕末に焼失したと云われています。

 

現在は寺門だけが残っています。

 

幼少期、慎太郎はこの寺に読み書きを学びに通っていたと

云われています。

 

境内には慎太郎遺髪墓地、北川玄蕃頭道清の墓があります。

 

❝向学の道❞

慎太郎が7才から北川村野友の漢方医島村策吾塾に通ったり、17才の時に藩校田野学館に通ったり、国政改革の大望を抱いて「脱藩」した道。

 

慎太郎は柏木の登り口から北川村野川口までの約2.1km(片道約90分)をほぼ毎日往復して塾に通っていたと云われています。

 

約900m登ると烏ヶ森山頂に着きます。

山頂近くには、北川玄蕃頭の「烏ヶ森城跡」や慎太郎の辞世の句碑が建っています。

 

山頂を野川口側に下っていくと、慎太郎が大庄屋見習い時代に村民に植林を奨励して、当時5本植えたと云われる「杉の木」が2本残っており、「光次の並木」と呼ばれ案内看板が付けられています。

中岡慎太郎像

慎太郎像は高知県室戸岬に一体(1935年5月7日除幕)、京都市円山公園の坂本龍馬と一緒の像があります。

 

北川村柏木には、高さ1.8m、25歳の慎太郎が脱藩を胸に秘め、故郷北川村を旅たっていく姿をとらえた像があります。

 

腰に差した大刀に左手をかけ、右手に編み笠、背中に度の荷物を背負って左足を力強く踏み出した全身像です。

 

1999年4月13日(慎太郎誕生日)に除幕式が執り行われました。

巻の淵

奈半利川きっての大淵。断崖絶壁で洪水の時は大きな渦が巻きます。

 

ある夏の日、村の子供たちと水遊びをしていた慎太郎は、この断崖のてっぺんから飛び込んで、すいすいと泳いでみせたと云われています。

 

この岸壁には摩崖仏が彫られています。

 

慎太郎遺髪墓地

慎太郎の遺髪をお祭りした墓。

 

隣には妻「兼(かね)」(享年57歳)の墓があります。

兼は慎太郎の訃報を聞いた時、見舞いの人たちに

『夫を今少し生かしておくにのためにご奉公させたかった』と言ったと云われています。

 

二人のそばに小さな石の墓があります。

二人の間に生まれた子の墓とも云われていますが、詳細は不明です。

 

 


きたがわじまん 

ー 慎太郎ゆかりの史跡マップ ー


中岡慎太郎館周辺には徒歩で散策いただける慎太郎ゆかりの史跡があります。

中岡慎太郎館では新しく<散策マップ>を作成しました。

マップを片手に、慎太郎さんが見た風景をお訪ねください。

☆マップは当会(顕彰会)事務所や、慎太郎館にございます。☆